2021年7月、静岡県熱海市伊豆山地区で土石流災害が起こりました。亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。毎年のように土砂災害が日本中で起こっています。今回の被害は人災であるとも言われますが、近年のゲリラ豪雨や降水量の増加がもたらす被害が日本中で問題になっているのはたしかです。そしてこういった異常気象、気候変動の原因が「地球温暖化」であることの可能性について、少し考えてみたいと思います。
まず皮膚感覚のところで、私はここ何年かの夏の暑さ、降水量、雨の降り方、こういったものが少し異常ではないかという気がしています。何が正常で何が異常かという基準は、地球にとっては存在しないのかもしれません。人間的な視点、さらにいえば個人的感覚に過ぎないかもしれませんが、何か一線を越えたような、そんな感覚があります。夏、エアコンを入れなければ生活できないような街の暮らし、恐怖を感じるような降り方の雨、それらはやはり正常ではないと思うのです。
気象庁のデータを見てみます
20年前、東京の2000年8月の日最高気温は32.4℃、日平均気温が28.3℃です。数字だけ見ると、今と何がちがうのだろうか、という印象です。そもそも正確な最高気温や平均気温というのは日常あまり意識しないことです。30℃だとかなり暑く、35℃だと外での長時間作業は厳しいです。そのくらいは何となく分かりますが、1~2℃の差は正直分からないような気がします。続きの数字を見てみます。
2010年8月では同33.5℃・同29.6℃、2015年8月は同30.5℃・同26.7℃、2020年8月が同34.1℃・同29.1℃です。年ごとの波はあるものの、上昇しているのは確かなようです。
続いて私の地元である京都市でも見てみます。同じく20年前から、8月の数字です。2000年8月、日最高気温が34.8℃・日平均気温が28.9℃、2010年8月同35.2℃・同30.1℃、2015年8月同33.6℃・28.3℃、2020年8月同36.2℃・30.5℃でした。
こちらも上昇していて、京都市は東京よりも気温が高いこともわかります。
東京の数字では20年前との比較で日最高気温が「+1.7℃」日平均気温が「+0.8℃」、京都の数字だと日最高気温が「+1.4℃」日平均気温が「+1.6℃」の上昇でした。
続いて降水量を見てみます。これは同月での比較だと数値がまばらであまり意味がないようなので、一年で最も多い降水量の月どうしで比較してみます。
東京の2000年は7月で1時間最大降水量82.5mm・日最大降水量は115.0mm、2010年は9月で同68.0mm・同102.0mm、2015年は5月で同34.5mm・日最大は9月が最大で156.5mm。2020年は8月で同34.5mm・日最大は4月が最大で132.0mmです。
降水量は気温の数字よりさらに分かりにくく、増えている数字があったり、減っている数字があったり、比較が素直でありません。
京都市も同じように確認してみると、2000年は6月で同28.0mm・日最大は9月で112.0mm、2010年は8月で同76.5mm・日最大も8月で141.0mm、2015年は6月で同29.0mm・日最大は7月で183.5mm。2020年は7月で同43.5mm・日最大は7月で91.5mm。
20年前との比較をすると東京は、1時間最大降水量が「-48mm」日最大降水量は「+17mm」京都市は1時間最大降水量が「-15.5mm」日最大降水量は「+20.5mm」という数字が出ます。
「1時間最大降水量」というといわゆるゲリラ豪雨を思い浮かべますが、この数値では東京も京都もマイナスになっていて、20年前よりも現在の方が少ない数字になります。「日最大」の数値は東京も京都も増加していますが、増加だけの数値を拾うのは平等でない気もします。夏の「夕立」は昔からあり、古い映画や小説にも様々に描写されてきました。日本で夏に豪雨が降ることは昔からあったこととも言えます。自分が感じている不安はただの杞憂でしょうか。そうであればいいですが、ここでの数字の拾い方や量はあまりにも大雑把で、その危険性を確かめるには貧弱なものです。
そして「気象庁発表」というと盤石な数字のようでもありますが、それは完全に平等なものかは分かりません。私はここ数年でレビューのついていない情報を100%信用することはなくなりました。ひとつの一方的な数値では「参考」にしかできません。正直なところコロナウィルスの感染者数の発表も同じ理由で、個人的には受け入れられない部分があります。それは余談ですが。
雨の量は過去との比較で増えたのか減ったのか、数字ではよく分かりません。しかし、気温の上昇は確実なものである可能性が高いです。
地球温暖化の気温上昇で、よく一番に問題視されてきたのは「海面の上昇」ですが、日本に暮らす方々(それは私も含め)で、一体どれだけの人が「海面上昇率」に関心を持って来たでしょうか。自分の生活に直接影響をもたらす事象として考える事が出来ず、「暑くなってもエアコンがあれば関係ない」と、そこで思考は止まってしまいます。しかし、こちらも恐らく古くから想定されていたはずのことですが、なぜ「海面の上昇」ばかりに注目されていたのかは分かりません。それはやはり降水量の事です。
気温の上昇が雨の降り方にも影響を与えるのは、考えてみれば当然の話です。気温が高い夏の方が気温の低い冬よりも雨が多いですし、日本よりも東南アジアの国々などは湿度が高く雨が多いというイメージを誰もが持っているのではないでしょうか。東南アジアのようなスコールや、長い雨期が日本にも発生するとすれば、現在の地形や地質がそれに耐えられず、頻発して土砂が崩れるということは容易に想像できます。かつて安全であった場所が今は安全でなくなっている可能性は十分にあります。各地で作成されているハザードマップはその危険性を示してくれますが、まだ日本全国がカバーされているわけではなく、危険性の分からない土地もたくさんあります。今回ここで拾った数値では降水量の変化はあまりないように見えましたが、「降水量の増加」が、実際に起こりうる事象としては矛盾しないように思います。
ここでは、温暖化で日本も地球ももうダメだ、という話がしたいわけではありません。
まだ将来的に対処できる部分があり、それを一つずつ丁寧に見ていくことができると思うのです。恐らく今後も気温はまだ上昇し、降水量も増えます。地盤が緩い土地やその下流側・その付近には土砂災害の危険があります。川の氾濫もあるでしょう。
一つはまずしっかりと個人が被災時の対策を考える事でしょう。生きるために必要な作業と言えるかもしれません。ただし今回の土石流や土砂災害は一瞬ですべてを破壊するものです。これはもっと大きな枠で考えて、行政的な対策をしなければならないのではないでしょうか。
山間部を埋め立てて地形を変えたり、土を盛るとそれが豪雨で流れます。それは簡単に想像ができることです。遠くから見れば山腹の重機はただの点にしか見えません。あらわになった山肌と一緒にそういうものを見るとぞっとすることがあります。水を吸い、土を絡めて締め付けている木の根を、排除してしまうことはとても危険でしょう。そんな裸の斜面を見ると、次の豪雨は大丈夫かなと心配になります。今回の土石流災害の土地がどういったところなのかは、私はわかりません。ただ、行政はそういった開拓行為を取り締まるべきと思います。そこに家が建ち、人が住んでしまうと問題はより複雑になります。後戻りができなくなります。
山や森の中にいると、巨木の迫力や植物の生命力というものを肌で感じることが多くあります。同時に人間ひとりの力がとても貧弱であることもよく分かります。人間が巨木を倒すことや斜面ごと抉るようなことが、技術的には可能なわけですが、雨を含む自然そのものを管理することは未だにできません。自然を管理しようとするのではなく、知って、その内側で暮らす、というやり方がやはり清々しいような気がします。地球温暖化は人間が止めることのできるものかは分かりません。ただ、特に日本人は人口も減っている現状で、これ以上開拓をし続ける必要性はないように思います。あるものを丁寧にしっかりと使うこと、きっとそれでも楽しく生活ができるはずです。